
Hiroaki Fujiwara
Profile
大学時代、1年間アルゼンチンへ留学。アルゼンチンの虜に。
大学卒業後、海外展開している自動車部品商社に入社しドミニカ共和国、エクアドルへの赴任を経験。
その後、アルゼンチンに戻り様々なビジネスを個人で展開する。
日本に帰国後、当時海外ビジネスを展開し始めていたTAMに入社。
新規事業、ウェブディレクターを担当し、シンガポールでの法人立ち上げでシンガポールへ。
現在はシンガポールの立地を生かしたグローバルなプロジェクトを数多く担当。
TAMSAN Pte. Ltd.
2013年の冬、東京⇔シンガポールのWeb会議でFujiwaraさんと繋がる。
そこから現在までにいくつかプロジェクトをご一緒し、その魅力的なキャラクターも含め心地いいプロジェクトマネジメントを見せていただいている。
業界的に近いこともあり仕事感やビジネスの課題なども話す機会は沢山いただいているが、常に新しいことへチャレンジされている彼に改めて海外での生活、ビジネスに関する思いを聞く。

海外への強い想いは全くなかった
Interviewer海外での生活が長いですが、そもそも海外には興味があったのですか?
Fujiwaraさん正直全く興味が無く(笑)
愛媛県で過ごした子供の頃はそんなことを考えることもなく過ごしていました。
ただ、中学時代に中国の姉妹都市に2週間ほど行く機会がありました。
Interviewerその時に海外を意識し始める?
Fujiwaraさん結果的にはそうなりますが、どちらかというと交換留学ということで中学生にとっては贅沢な時間を過ごせたことが思い出に残っています。
勉強らしい勉強もそんなに多くはなく、名所を見る時間など「経験」に重きを置いたカリキュラムでした。
その時点でも海外へは「少し興味を持つ」程度で、生活拠点や仕事に関しては全く考えることはなかったんです。
しかも高校で英語が大嫌いに。
きっかけは「海外からの留学生とコミュニケーションが取れない英語教師に失望した」という理由なんですが(笑)
Interviewerその流れで「英語嫌い」へと昇華されてしまう。
Fujiwaraさん英語そのものには良い印象がないまま大学に入ります。
世界史が好きだったこともあり大学では史学科を選択。
だけど思っていたよりも自分自身、歴史への興味が深くはなく、自宅で本を読んでサッカーをしてバイトにいく毎日でした。
Interviewer何故留学、何故アルゼンチンに?
Fujiwaraさん自分の生活スタイルに危機感を感じたことが大きな理由です。
読書、サッカー、アルバイトに少しの授業。
これは性根を叩きなおさないと。このままではダメだ。と思ったんです。
アルゼンチンを選んだ理由はサッカーが好きだったから。
実況や好きな選手がどんなことを言っているのか理解出来たら、もっと楽しめる。
そうなると知りたくなってくるじゃないですか。
さらに当時のアルゼンチンは経済崩壊から3年程たった2004年頃。
今ほどインターネットでの情報収集ができる時代でもなく少しヤバい位の環境に身を置いた方がいいと勝手に思い込んだのもありアルゼンチンに決めました。

アルゼンチンで変わった人生観。今も魂はアルゼンチンに
Interviewer実際アルゼンチンに行かれてどうでしたか。
Fujiwaraさん文化の違う人たちとの交流は日々刺激を与えてくれました。
考え方にも変化が。
地元から京都の大学に出たなかで、無意識に周りの目を気にしていたんだと思うのですがアルゼンチンでは「そんなことはどうでもいい」と(笑)
いい意味でおおらか。適当。がんばり過ぎる必要はない。
そんな感じを受け入れることができたと思います。
人と人との距離感がとても近いんですね。
家族はもちろん、友人、恋人、とにかく近しい人を大切にする。
ちょっと子供っぽいところもありますが、そこも含めて私にはとてもマッチした国でした。
Interviewer人生観にも影響を受けるほど。海外での活動のルーツ、魂はアルゼンチンで?
Fujiwaraさんそれはもう衝撃的でした。同じ時期にブラジルやウルグアイ、ペルーにも
行きましたがアルゼンチンは私にとって全くの別物。
何とかして残りたい。帰りたくないと思いましたがそうもいかず。
1年間過ごしたあと魂は置いた感じで帰国します。
帰国後もさらに1年間、スペイン語の勉強は続けました。
アルゼンチンなら今からでも行きたいですよ(笑)
想像していた以上の現実と高まるアルゼンチン愛
Interviewerその後も海外での就業などを視野に就活をされた。
Fujiwaraさん海外というかアルゼンチンに行ける会社を探していました。
とは言え、なかなかそんな会社に出会えず、対象を「南米」と少し広げ南米に自動車部品を卸している商社に就職します。
ドミニカ共和国で研修した後にエクアドルに赴任することが決まっての入社です。
Interviewerその流れ、聞くだけで凄いですが、実際にはどうでしたか。
Fujiwaraさん赴任した地域に限ったことかも知れないのですがドミニカの方が使うスペイン語の訛りが強く言葉が通じない。これは衝撃的でした。
物を買うのにも苦労する。
更に自分自身の自動車部品への興味のなさを早々に悟ってしまいます。
その中で知らない国、街を営業して回る。
生活という根本的な部分で不安を感じた1ヶ月間でした。
引き続きエクアドルに行くのですがここでも想定外のことが起こります。
兎に角、生活に困ることが多い。
娯楽が少ない。といったことももちろんあるのですが、買えるもの、することが極端に少ないんです。
本社には逆らわないが、スタッフには厳しい上司との仕事にも疲れていました。
ドミニカでは営業自体も辛かったです。
現地ではドミニカ人の先輩がいて一緒に営業に回っていたんですがお客さんには言葉が通じない、店もほとんどない。
そんな中、買い物なども先輩に頼ることになるのですが、どう考えても値段が高い。
身内にぼったくられていたんです。
Interviewer突っ込んだりしなかったんですか?
Fujiwaraさん突っ込んで機嫌を損ねたりしたら、それこそ生活に関わるので出来なかったですね(笑)
研修開始早々にそんな感じだったので、残りの期間を考えるととても無理です。
幸い食事が合わないなどの苦労は無かったので、食べられれば何とかなるとは思っていましたし。
またエクアドルでは治安に不安を感じることがありました。
強盗にも何度か会いましたし、会社に置いていたパソコンがランチの間に盗まれることも。
こんな状況や環境の日々をアルゼンチンで過ごした時と比較するとどうしてもギャップが大きく感じ、一旦帰国しました。

市場調査が代表就任に直結。この環境には感謝しています
Interviewerいよいよアルゼンチンに?
Fujiwaraさん早速アルゼンチンに戻ります(笑)
その時はアルゼンチンでの生活を満喫しながら2 年程、留学や語学学校のマッチングをしたりインターンシップの紹介などをしていたのですが主な顧客となる学生はアメリカやヨーロッパの方々で、そこで改めて英語が必要になってきました。
学生時代とは異なりGoogle などのIT ツールを活用してはいましたが、やはり最低限の知識は必要で。
とは言え、当時の私も27 歳になり将来を考えるため日本に帰ることにしました。
Interviewer気持ちの整理はつきましたか?
Fujiwaraさん当時お付き合いしていた方とのこともあり帰国したのですがやはり次の仕事もアルゼンチン関連を探していました(笑)
どうしてもまた戻りたい。と。
そのような感じで半年間色々と仕事探しをしている時にTAMの代表から声掛けがあり当時計画中だった海外のものを日本に輸入して、オンラインで販売するという新規事業の担当として入社しました。
入社後、アルゼンチンのビンテージ家具を楽天で売るというビジネスを担当します。
アルゼンチンには、50年〜100年前の、良質な家具・雑貨がたくさんあることを知っていました。
海外のなにか面白いものを日本でオンラインで販売する、という新規事業のコンセプトに合っていると思い、アルゼンチンが好きでたまらないこともあり、このアイデアに執着していました。
Interviewerアルゼンチンと関係できるビジネスですね。
Fujiwaraさんアルゼンチンへは移動時間、費用も掛かりますが、立ち上げ後数ヶ月後に一度出張で行かせてもらいました。
その後1年弱、この事業は続いたのですが、震災で完全に受注が止まってしまいました。
熟考した上でこの事業はクローズし、同時期に進行していた香港での拠点立ち上げ調査に関わることになりました。
結局香港法人は立ち上げず、東京オフィスでWEBディレクターを1年やった後、海外拠点立ち上げの話が再度持ち上がり、シンガポール市場や法人設立の実情を調査する為にシンガポールへ出張しました。その際に、運良くプロジェクトを獲得。
その流れで法人設立が一気に加速し、そのまま現地の法人を担当するにいたります。
Interviewer話が早い(笑)。そのまま現在にいたる。と。
FujiwaraさんTAMという会社の決断力、意思決定スピードには驚きつつも、楽しませてもらっています。
シンガポール法人TAMSANを設立して現在7年目。
徐々にビジネスの規模も大きくなり、活躍してくれるスタッフも増えてきました。
シンガポールは大手企業のアジアHQが多く、ビジネスの規模や種類も多彩です。
またシンガポールに拠点を持つ企業の多くは、本社とは別の決済フローを持っていることも多く意思決定のスピードがとても速く、新しいことにチャレンジする意欲も強い。
TAMの社風ともマッチすることが多いですし、アジアでありながら世界のプロジェクトに参画することが可能な環境なんです。
Interviewer将来性も引き続き高いシンガポールで長くビジネスが見込めそうですね。
Fujiwaraさん今も明日にでもアルゼンチンにいく準備はできていますよ(笑)
とは言え、素晴らしいクライアントと多様なプロジェクトにトライできるこの環境には感謝しています。
日本人同士の距離が近く、また要職に就かれている方々と直接お話ができますし安全面や生活水準も高く、欧米とアジアを結ぶ中心であることも日々実感しています。
仕事の内容も楽しいですし、何よりクライアントの期待に応えたい。
それにスタッフの成長に近い距離で関わらせてもらえることも楽しみです。
Interviewerとても順調そうですが、今後の目標や課題などは。
Fujiwaraさん大きな課題は2つあります。
まずはプロジェクトに関して。
やはり日系企業とのお仕事が多く、現地企業や日系以外の外資系企業との取引を増やすことが目標としてあります。
次に採用。
平均的な給与が高いことはもちろんなんですが、当社が必要とするスキルを持った経験者は中々市場に出てきません。
かと言って、未経験者がすぐに活躍できる業界でもないので難しいところなんです。
今後も常に良い人材との出会いを求めていこうと思っています。

ナレッジシェア&メッセージ
Interviewerありがとうございました。最後に、今後海外で起業しよう・働こうと考える方々にシェアいただけることはありますか。
Fujiwaraさん今後海外での活動を目指す方々には、現地でどのように活躍していくのかしっかりイメージを持ってほしいと思います。
当社も今までに何人かの日本人をシンガポールで現地採用しましたが、想いや条件などで良い結果にならなかったこともありました。
暫くすると日本に帰りたくなる方もいました。
それが悪いことではないですが、もっと大きく構えることも必要ではないかと思っています。
シンガポールに限らず、世界で活躍する場所や環境は沢山ありますから。
Editor’s note
編集後記シンガポールというアジアビジネスの中心で活躍されている印象が強く、南米でこんな経験をされているとは思いもしませんでしたが、アルゼンチンという国にここまで魅了され、人生観に影響を受けるということを考えると全て必要なことだったんだろうな。と妙に納得できました。
Fujiwaraさんが順調にビジネスを進められているシンガポールは名実ともにアジアビジネスを牽引している国。
筆者も2度、出張で訪問しましたが、立地の良さはもちろん、様々な文化や人種、言語が絶妙なバランスを保ちながら維持されていることも大きいと感じた記憶があります。
ヨーロッパやアメリカと同じ、または分野にとってはそれ以上に楽しいこと、経験が待っているシンガポール。
そこに私たち含めた日本の企業が今後もどのように切り込んでいけるか。今回のお話をお聞きしワクワクしています。
筆者も久々に訪星しバクテー(肉骨茶)が食べたくなりました。